自分史(家族編)

幼少期

1957年5月22日 父・敏郎、母・絹枝の長男として生まれた。

 

父はNHKに勤務~典型的な事務屋で、経理や業者との折衝等の総務的な仕事に携わっていた。母は専業主婦で、何事も夫や子供のためにと苦労を重ねたように思う。

 

家族は両親と姉、祖父の5人。三世代のごく一般的な昭和の家庭で、私は何一つ不自由なく育てられた。

 

幼少期は色白で病弱、長男だけど末っ子。跡取りだからというわけでもないが、姉曰く「あんたは甘やかされ、大事にされていた」とのことである。

教育熱心な母の勧めでカトリック幼稚園に入園し(させられ)、路線バスで通園。幼稚園のいろんな行事では園児代表の役を与えられ、目立つ存在だった。

 

 

学生時代

一旦近所の小学校に入学、5年生で付属小学校に編入。

鹿児島ラサール中学を受験・合格、親元を離れ寮生活に。入学当初はホームシックで淋しいと思うこともあったが、三学年の寮生全員が大部屋で寝起きする共同生活は、まさにパラダイス! 

進学校ながらもバンカラな男子校特有の自由な校風を満喫し、バスケット部のキャプテンとして県大会で優勝したこともあった。

反面、学業は疎かになったものの、中学・高校の6年間での団体生活は自立心を養い、その後の人間形成に大きく影響したのだろう。

 

立命館大学経営学部に進学。一転、学業に熱心となり、国際金融論を専攻したゼミの仲間とは、学びと遊びを通じて終生の友になった。

 

 

妻との出会い

出会いは昭和49年10月6日、私は男子高校の2年、妻は女子高校の1年生のときであった。高校卒業後は遠距離恋愛となり、携帯電話もない当時に交わした手紙は百通以上、10円玉を貯めては公衆電話に通い、年に数日しか会えない切なさ…を乗り越えて、8年後(社会人2年目)に結婚。

それまで鹿児島しか知らない妻にとって、知らない土地に嫁ぎ、知らない土地ばかりへの転勤の繰り返しとはどのようなものだっただろうか。だからこそ私は妻に寄り添いたいと思ったし、転勤先での新たな生活の緊張や不安は、互いの絆を深めてくれたと感じる。

 

妻は私の愛に溺れているが、私は妻の愛に飢えている。妻は私の「好き過ぎ」に迷惑し「鬱陶しい」と発する言葉に、私はいつも傷ついている。娘たち曰く「お父さんのお母さんに対する愛は一方通行だ」と(涙)

でも、そんなに好きな女性と一緒に生きてきたことは、この上ない幸せであり、まさに、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんの名言~「あなたと結婚できたら、あなたを幸せにする自信はありませんが、私が幸せになる自信があります」のとおり。

 

娘の誕生

昭和60年に長女・衣里、平成元年に次女・志帆が生まれた。欲しくて欲しくてたまらなかった娘を、それも二人も生んでくれてありがとう! 生まれてきてくれてありがとう!

可愛く育っていく娘たちの一方で、仕事は忙しくなるばかり。まだ眠っている時間に出社し、眠った後に帰宅する毎日。でも「夫婦仲良く、一生懸命に働いていれば、子供は親の背中を見て育つ」と信じていたとおり、常識を備え感性豊かな自慢の娘、誇れる人間に成長してくれたことに感謝。

 

 転勤族は子供の教育を考えて単身赴任をする者が多いようだが、私の我儘で家族を同伴して異動を続けた。長女が高校3年の夏に大阪から愛媛に異動の内示があり、さすがの私も「今回は単身で行く」と心を決めたが、「いずれ大学生になれば家を出るのだから、あと半年はお父さんについていく」と言ってくれた娘に対し、ただただ涙…

 

そこは娘を説得して単身赴任。翌年の春、遠方の大学に進学した長女が独り暮らしを始め、妻と次女を私のもとに呼び寄せたものの、1年後に再び異動の内示。次女は中学3年生で高校受験のために、急遽異動先の高校に願書を提出。引っ越しの当日が受験日となり、宿泊していたホテルから受験会場へ向かい、さらに翌日は中学校の卒業式に出席するため、再び前任地に戻るという慌ただしさ。

 

娘たちの人生を翻弄させてしまって本当に申し訳ない。

 

ただ、転校を繰り返す中で子供なりに苦しみながらも努力している姿を見たし、逞しく成長していく糧となったように思う。

 

 

娘たちへ望むこと

妻や子供に「悲しい思い」「惨めな思い」「辛い思い」をさせたくない。それが「家族を守る」ことであり、自分の使命と思ってきた。しかし親が子供を守るには限界があり、いつかは手元を離れて生きていくもの。

 

であれば、娘たちには「生き抜く力」を養い、「強い人間」になってほしい。そして、「相手の気持ちがわかる優しい女性」になってほしいと願ってきた。

 

今はそれぞれの家庭の中で、どうかどうか自分を大切に幸せになってほしい。


妻と娘たちから~お父さんの素敵なところ~

仕事の関係で転勤が多く、引っ越しの度に娘たちを連れていく選択をしてきたが、常に家族を大事にしてくれたと思う。周りに気を遣う分、家庭では孫にまでヤキモチを焼くような甘えん坊の夫ですが、残りの人生もよろしく! 

妻 由紀子


母を大切に思う気持ちを、言葉にも行動にも表しているところ。

そしてどんな時も、家族が楽しめるよう、旅行や行事のイベント計画を立ててくれて、身を粉にして動いてくれる。

そんな父に尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。 

長女 衣里


父の素敵なところ、なんといっても家族想いなところ。

まだ薄暗いうちからパジャマのまま車に乗り、遠出をすることが大好きでした。

私のことを誰よりも理解してくれていた父。私が一番尊敬する人です。 

次女 志帆